はじめに
ゲーム史において『Tetris(テトリス)』ほど、
シンプルで世界的に成功し、そして裏側が混沌としていた作品は多くありません。
テトリスは「誰が作り、誰が売り、誰が儲けたのか」が長年わからない、
まさに権利地獄と呼ぶにふさわしい問題を抱えたゲームでした。
本記事では、テトリス誕生から世界的ヒットに至るまでの
異常な権利争奪戦の実態を解説します。
テトリスは「ソ連」で生まれた
1984年、冷戦真っ只中のソビエト連邦で「テトリス」は誕生しました。
開発者は科学者のアレクセイ・パジトノフ。
彼は国家機関に所属する技術者で、個人的な実験としてテトリスを制作しました。
ここで重要になってくるのが当時のソ連事情。
当時のソ連では、
国家機関で作られた成果物の著作権はすべて国家のものでした。
つまり、
-
作者本人に権利はない
-
印税も入らない
-
契約という概念すら曖昧
この時点で、すでに後の悲劇は始まっていました。
無断で広がるテトリス
テトリスはフロッピーディスクを通じて東欧から西側へ流出し、
いつの間にか欧米のゲーム会社の目に留まります。
すると複数の企業が、
-
「自分が正規の権利を持っている」
-
「いや、うちが正式契約した」
と主張し始めました。
しかし実際には、
-
契約相手がソ連政府なのか不明
-
プラットフォーム別の権利区分が存在しない
-
契約書が存在しない、または曖昧
という、現代では考えられない状態でした。
任天堂 vs 欧米企業の全面衝突
1989年、事態は最高潮に達します。
任天堂が「ゲームボーイ版テトリス」を出そうとした際、
欧米の企業が「その権利は自分たちにある」と猛反発しました。
しかし流石は任天堂。
当時の役員たちは、
-
ソ連政府(正確には国営企業ELORG)と直接交渉
-
家庭用ゲーム機向けの権利を正式取得
という、力技かつ正攻法で突破します。
結果として、
-
ゲームボーイ同梱版テトリスが世界的ヒット
-
任天堂の携帯ゲーム市場制覇
-
他社は訴訟と敗北
という結末を迎えました。
作者は長年、1円も・・・
しかし、そんな騒動の裏でテトリスの生みの親であるパジトノフ氏は、
10年以上にわたり、テトリス関連の報酬を得ていませんでした。
理由は単純で、
-
国家所有の作品だった
-
個人に権利がなかった
というものです。
彼が正式にロイヤリティを得られるようになったのは、
ソ連崩壊後の1990年代後半になってからでした。
なぜテトリス事件はゲーム史に重要なのか
この事件がゲーム史に残る理由は、単なるゴタゴタではありません。
テトリス権利問題は、
-
国境を越えるゲームビジネスの難しさ
-
知的財産の重要性
-
開発者が報われない構造
-
「誰が作ったか」より「誰が契約したか」が支配する現実
といった問題を世界に突きつけました。
その後のゲーム業界で、
-
契約書が重視されるようになった
-
プラットフォーム別権利が明確化された
-
開発者保護の議論が進んだ
といった背景には、テトリスという成功と混乱の象徴があったのです。
まとめ
『Tetris(テトリス)』は、
「誰もが知る名作」であると同時に、
ゲームビジネスの闇を体現した作品でもあります。
もしテトリスが、
-
現代の契約環境で生まれていたら
-
民主国家で作られていたら
歴史はまったく違っていたでしょう。
しかし、この混沌があったからこそ、
ゲーム産業は成熟していったとも言えます。
テトリスは落ち物パズルである前に、
ゲーム史そのものを積み重ねた存在なのです。